Fwd: A Little About Me - Jeff (2024/4/28)  [Home]
Fwd: 少しだけ私について
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皆さん、こんにちは。アルコホーリクのジェフです。

フロリダ西海岸の静かな海辺の町で育ちました。 1966年のことです。20歳の私は、飲酒運転で逮捕され、大学を中退したのです。 完璧主義の父親が、ガミガミ言うのに嫌気がさし、 家を飛び出し、
オハイオ州のデイトン オハイオ州のデイトンは、アメリカ合衆国のオハイオ州にある都市です。デイトンは州都コロンバスに次いで州内で2番目に大きな都市であり、工業、航空宇宙、医療、教育の中心地として知られています。また、ウィンドタンネルや宇宙航空研究プログラムで知られるライト・パターソン空軍基地があり、歴史的な意義も持っています。
へ逃げました。

デイトンで、大麻に出遭いました。アル中にとっては、スコッチとの相性が抜群です。 高慢な私には、仕事が見つかりません。惨めな思いで、実家に戻ったのです。 復学して、なんとか2年を修了しました。 親元にいましたが、酒代を稼ぐため、地元のリゾートでウェイターをしました。 飲食業が好きでした。 でも、仕事中は、酒に手を出しませんでした。

1971年には、カリフォルニアに越しました。その後、ロスとサンフランシスコで、レストランを経営しました。 サンフランシスコで、ゴールデンゲートブリッジを飲酒運転で逆走して、捕まってしまいました。 捕まってしまいました。 これは、大きな代償を払う羽目になり、10年も頭から離れませんでした。 でも、酒を止めようとなんて考えもしませんでした。

キャリアを重ねた私は、酒好きの美人女優と結婚しました。 末期には、夕食で出来上がってしまい、ののしりあった末、 別々に寝床につくなんてことになっていました。 マッサージ療法師が
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を提案してくれました。でも、それどころではありませんでした。
ACOA ACOAは「Adult Children of Alcoholics(アルコール依存症の親を持つ大人の子供)」の略称です。この言葉は、アルコール依存症の親を持った子供たちやその影響を受けた大人たちを指しています。ACOAは、親のアルコール依存症による心理的な影響やトラウマを克服し、健康な関係を築くためのサポートや共感を提供するために組織化されたグループやプログラムを指すこともあります。ACOAの考え方は、親がアルコール依存症である場合、子供たちにはそれに対処するための特定の挑戦や問題が生じる可能性があるというものです。
のミーティングにも通ったりしました。 1年、断酒したこともあります。でも、それ以上は続きませんでした。

性格上の欠点のおかげで、かなり良い仕事を失ってしまいました。 生活費を賄うために、親戚や友人から借金をしていました。 仕事を探すのも、履歴書を書くのも、やる気がありませんでした。 家で何時間もテレビを見て、大麻を吸ったりして過ごしました。 夕方の4時には、遊び仲間たちと地元のバーで
ハッピーアワー ハッピーアワーとは、一定の時間帯に飲食店やバーで特別な割引やサービスが提供される時間帯のことです。通常は平日の夕方から夜にかけて行われることが多く、お酒や食事をリーズナブルに楽しむことができます。店舗によっては、ドリンクやフードの半額、2杯目が無料になるなどさまざまなサービスが提供されることもあります。Happy Hour(ハッピー・アワー)とも呼ばれます。
を楽しんでいました。 1.5ドルのワインをあおり、ただのつまみで腹を満たしていました。。 そして、フラフラとアパートへ向かい、安ワインを1本買って、その日は終わりです。

酒を止めたいんなんて、考えたことはありませんでした。 でも、タバコを何とかしたいとは思っていたのです。禁煙
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をおこなっているセラピストのもとへ行きました。
ニコレットガム ニコレットガムは、禁煙補助具として使用される製品で、ニコチンを含むガムです。ニコチンはたばこの中に含まれる成分で、喫煙者が禁煙を試みる際に禁断症状の軽減や喫煙習慣の代替として使用されます。ニコレットガムは通常、徐々にニコチンの摂取を減少させる方法として使用され、禁煙のサポートとして効果的な製品とされています。
のおかげで、禁煙できましたが、生活ぶりは変わりませんでした。

借りた金が底をつき、毎朝、目覚めても恐怖のあまり息も絶え絶えでした。 セラピストに泣きついて、自分の人生を嘆いたのです。 ついには、セラピストは、自分の手には負えないと言い、近くの治療施設を紹介してくれました。 断酒なんてとんでもないとは思いましたが、他にはそうしようもなく、 治療を受けることにしたのです。 1994年4月29日でした。眠りにつくときに、ハッと気づきました。 その日一日、酒のことが頭に浮かばなかったのです。 そして、それから30年近く、酒のことを気にせずにいられています。

参加の初日から、AAにぞっこんでした。人生の中心となって、何年もずっと、中心であり続けました。 1997年、ソーバー3年半のとき、仕事で上海に引っ越しました。 空気は悪いし、英語を話す人はほとんどいませんでした。 住み始めたときには、回復中のアルコホーリクが5人いました。 間違いなく、「AAライト」
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とも言うべきものでした。 でも、
サービスAAの奉仕活動
活動をする絶好のチャンスでもありました。 私たちのような少人数のグループが結集して、2004年には、上海アラノクラブを設立しました。今でも、活発に活動しています。 年々、仕事で上海にやってくる、英語を話すアルコホーリクが増え、底つきをしたのです。
スポンサーAAプログラムなどを指導してくれる先輩役のメンバー
になるというすばらしい機会を享受できました。アメリカにいたら、できなかったことです。 中国での数年間、「経験と力と希望」グループは、 私の回復に不可欠のものでした。 美しい中国の女性と出会って、結婚しました。 彼女は49歳の若さで、ガンで亡くなってしまいました。でも、16年もともに過ごせたのです。 最後の1年、彼女に寄り添っていられたことは、私の人生で最も輝かしい体験でした。

2015年には、カリフォルニアに戻りました。数年後、共通の友人を通じて、きれいな女性に出会いました。 この女性も、夫をガンで亡くしたばかりで、私たちはお付き合いをするようになったのです。 カリフォルニア州パームスプリングの砂漠の山中に、二人の家を購入しました。 その次の金曜日、6日しか経っていませんでしたが、私たちは結婚しました。 それから、ずっと幸せに暮らしています。本当に、幸せです。

今、私は感じています。
ハイヤーパワー(HP=ハイヤーパワー)神、または高次の力、自分を超えた大きな力。意志と生き方をゆだねる対象。
とAAの
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のおかげで、人生は有益で充実している、と。 いつでも、心がおだやかでいられます。 理由もなく幸せなときもあるくらいです。 AAの中心に、い続けているのは、酒に手を出すのがこわいからではなく、 そうしていることで、良い人生と感じることができるからです。

読んでくださって、ありがとうございます。

Translator : mk



Hi Everyone, Jeff, alcoholic,

I was raised in a sleepy beach town on the west coast of Florida. In 1966 I had just flunked out of college when I was arrested for drunk driving at age 20. My perfectionistic father’s constant criticism made life unbearable, so I ran away from home to Dayton, Ohio.

In Dayton I discovered pot – a perfect balance to the seriousness of scotch for this alcoholic. Unable to find a job befitting my high status. I went home with my tail between my legs. I went back to school and managed a two-year degree. I lived at home, but to support my drinking, I began work as a waiter in a local resort. I found I liked the food and beverage business and didn’t drink on the job.

I moved to California in 1971 where I eventually managed restaurants in Los Angeles and San Francisco. It was in San Francisco where I was arrested for drunk driving the wrong way on the road leading up to the Golden Gate Bridge. This lapse in judgement proved very costly and stayed on my record for 10 years. I never thought about quitting.

I progressed up the career chain and married a beautiful actress who also liked to drink. Toward the end we’d get drunk during dinner and then argue into the evening until we went off to bed in separate bedrooms. A massage therapist tried to 12-Step me, but I wasn’t ready. I did try Adult Children of Alcoholics for a few months and quit drinking for a year, but it didn’t stick.

My character defects caused me to lose a couple of pretty good jobs. I borrowed money from relatives and friends to pay the bills. I had no energy to look for work or even write a resume. I sat at home watching TV and smoking pot for hours on end. At 4:00 PM I’d head to a local bar for happy hour with my lower companions. I drank $1.50 glasses of wine and made dinner on the free hors d’ oeuvres. Then I toddled off to my apartment, picking up a bottle of cheap wine on the way home to finish the job

I had no desire to quit drinking, but I hated my smoking habit. I went to a therapist who was giving a quit smoking program. I got addicted to Nicorette gum and was able to quit, but my life didn’t improve..

Running out of borrowed money, I awoke every morning in so much fear I could hardly breathe.I went back to the therapist and whined about my life. Finally, she said she couldn’t help me and suggested the treatment center nearby. I thought quitting drinking was extreme, but I didn’t know what else to do so I signed up for treatment. I was getting ready for bed that night, April 29, 1994, when I suddenly realized I hadn’t thought about a drink all day and I haven’t seriously thought about a drink for almost thirty years now.

I fell in love with AA from the first day. It became the center of my life and has remained there throughout the years. In 1997, at three and a half years sober, I moved to Shanghai for work. The air was polluted and hardly anyone spoke English. There were five other recovering alcoholics when I arrived – definitely an “AA light” program. But it was also a great opportunity to be of service. A small group of us got together and opened the Shanghai Alano Club in 2004 that is still going strong today. As the years passed, more and more English-speaking alcoholics came to Shanghai for work and many found their bottoms. I enjoyed wonderful opportunities to sponsor I never would have had in the US. ESH was vital to my recovery during the years in China. I met and married a beautiful young Chinese woman. We were together for 16 years until she died of cancer at age 49. Caring for her during the last year of her life was perhaps the most beautiful experience of my life.

I moved back to California In 2015 and a couple of years later I met a beautiful woman through a mutual friend. This woman had also recently lost her husband to cancer. We fell in love and bought a home together up in the desert mountains above Palm Springs, California. Next Friday – in six days-- we will marry and live happily ever after. I'm sure of it.

Today thanks to my Higher Power and the program of Alcoholics Anonymous, my life feels useful and contented. I enjoy peace of mind most of the time. and I'm often happy for no reason. I continue to take the actions that keep me in the center of Alcoholics Anonymous, not because I’m afraid I’ll drink, but because my life feels so much better when I do.

Thanks for reading.





This is an amateur translation, so take it with a grain of salt.
シロウトの翻訳なので、大目に見てね


AA Nishiogi Big Book (Tokyo, Japan), 2023 
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