Re: ESH lead for the week of 5/12/24 - Ellen (2024/5/18)  [Home]
Re: 5月12日の週のトピック
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この詩は、
プログラム12ステッププログラム、回復のため原理、AAの基本プログラム。
に取り組んでいる仲間が、最近シェアしてくれたものです。本当に、心に突き刺さりました。また、今週のテーマにつながると感じました。皆さんも、私と同じように、味わっていてもらえましたら、うれしいです。
~エレン A

「私は、ドアのそばに立っています。」
サム シューメーカー師(オックスフォード グループ出身)


私は、ドアのそばに立っています。
中に入るでもなく、去るでもなく。
世界で一番、大切なドア。
神を見つけ出すとき、通過するドア。
中に入って、留まっている場合ではない。
多くの仲間は、まだ入れずに、私と同様、
ドアを探し求めている。
そして、見つけたものと言えば、
ドアができるところの壁だけ。
まるで、目が見えないかのように、壁伝いに、
手を懸命に伸ばし、手探りし、
探し求め、ドアのあることは分かっているのに、
見つけられはしない。
だから、私は、ドアのそばに立っています。


世界でもっともすばらしいことは、
皆さんが、ドア、神へのドアを見つけ出すことです。
一番大切で、誰にでもできることは、
手探りしている腕をつかんで、
ドアの掛け金にかけることです。掛け金は、カチッと音をたて、
ちょっと触れるだけで、開きます。


人々は、ドアの外で死んでしまいます。物乞いが飢え死にするように。
世知辛い世の中で、厳冬の凍える夜に。
手に入れたいものを探し求めて、死んでしまいます。
彼らは、ドアの向こう側にいます。それを見つけ出せないので、向こう側にいるのです。


一番大切なことは、彼らがそれを見つけ出し、
ドアを開けて、中に入り、神にたどり着くことです。
だから、私は、ドアのそばに立っています。


偉大な聖徒よ、中に入って行くのです。ずっと奥まで。
洞窟のような地下室まで下って。
広々した屋根裏部屋に上がって。
それは、大きな大きな家です。神が住まわれる家です。
隠された窓の奥深くまで、行くのです。
引きこもり・沈黙・聖人としての奥深くまで、入ってください。
その奥の部屋に住む人もいるはずです。
そして、神の深遠さと高尚さを知り、
そのすばらしさを、外にいる人に呼びかける人もいるはずです。
私は、時々、より深く中をのぞき込み、
時にはもう少し奥へ進んでいきます。
しかし、私のいる場所は、入り口近くが合っているようです。
だから、私はドアのそばに立っているです。


私がそこに立っているのには、他にも理由があります。
中には、途中まで入って、怖くなる人もいます。
神と神の家の情熱で、食べつくされてしまうのではないか、と。
なぜなら、神は非常に偉大であり、私たち全員に求めているからです。
そして、人々は、宇宙的な閉所恐怖症を感じ、
外に出たがります。「出してくれ!」と叫びます。
中に入った人は、彼らをさらに怖がらせるだけです。
ドアの近くにいて、伝えねばなりません。「あなた方は、恵まれているのです。」
今までの人生では、彼らは、多くのものを目にし過ぎてきたのです。
神を見つけ出したら最後、神だけを見ていればいいのです。
怯えている人たちを監視する人が必要です。
怯えて、入ってきたドアからこっそりと抜け出そうするのです。
ドアの中の方が、ずっと良いと伝えるために。
ずっと中にいる人には、分からないのです。彼らが、どれだけ逃げたがっているか。
中の世界の不思議な魅力にはまってしまって。
監視する必要があります。ドアから入ってきた人が、
逃げ出したがっている人がいるのを。彼らのためにも。
私はドアのそばに立っているです。


私は、ドアの中深く入って行く人々を尊敬します。
しかし、彼らには、ドアに入る前のことを、覚えておいてほしいです。
そうすれば、彼らにもできるようになるでしょう。
まだドアさえ見つけていない人々を助けることが。
また、再び神から逃げようとする人々のことも。
あまりにも深く入り込みすぎて、あまりにも長く滞在しすぎて、
ドアの外にいる人々を忘れてしまうかもしれません。
私と言えば、私はいつもの慣れ親しんだ場所に行くつもりです。
神の声が聴こえ、神がいらっしゃることが分かるのに、神の近くにいます。
でも、人々の声が聴こえないほど、遠くはありません。
そして、彼らもそこにいるということを忘れないでください。


どこ?ドアの外には、
数千人の人、何百万もの人。
しかし、私にとってもっと大切なことは、
そのうちの 1 人、2 人、10 人、
私は、その手を、掛け金にかけようとしているのです。
だから、私はドアのそばに立って待っています。
ドアを探し求める人たちを。


私は、むしろ門番になりたかったので、
私はドアのそばに立っているです。


Translator : mk



A friend in the program recently shared this poem. It really touched the core of me and I thought it tied in nicely with this week's topic. I hope you enjoy it as much as I have. ~Ellen A


I Stand at the Door
By Sam Shoemaker (from the Oxford Group)


I stand by the door.
I neither go to far in, nor stay too far out.
The door is the most important door in the world -
It is the door through which men walk when they find God.
There is no use my going way inside and staying there,
When so many are still outside and they, as much as I,
Crave to know where the door is.
And all that so many ever find
Is only the wall where the door ought to be.
They creep along the wall like blind men,
With outstretched, groping hands,
Feeling for a door, knowing there must be a door,
Yet they never find it.
So I stand by the door.


The most tremendous thing in the world
Is for men to find that door - the door to God.
The most important thing that any man can do
Is to take hold of one of those blind, groping hands
And put it on the latch - the latch that only clicks
And opens to the man's own touch.


Men die outside the door, as starving beggars die
On cold nights in cruel cities in the dead of winter.
Die for want of what is within their grasp.
They live on the other side of it - live because they have not found it.


Nothing else matters compared to helping them find it,
And open it, and walk in, and find Him.
So I stand by the door.


Go in great saints; go all the way in -
Go way down into the cavernous cellars,
And way up into the spacious attics.
It is a vast, roomy house, this house where God is.
Go into the deepest of hidden casements,
Of withdrawal, of silence, of sainthood.
Some must inhabit those inner rooms
And know the depths and heights of God,
And call outside to the rest of us how wonderful it is.
Sometimes I take a deeper look in.
Sometimes venture in a little farther,
But my place seems closer to the opening.
So I stand by the door.


There is another reason why I stand there.
Some people get part way in and become afraid
Lest God and the zeal of His house devour them;
For God is so very great and asks all of us.
And these people feel a cosmic claustrophobia
And want to get out. 'Let me out!' they cry.
And the people way inside only terrify them more.
Somebody must be by the door to tell them that they are spoiled.
For the old life, they have seen too much:
One taste of God and nothing but God will do any more.
Somebody must be watching for the frightened
Who seek to sneak out just where they came in,
To tell them how much better it is inside.
The people too far in do not see how near these are
To leaving - preoccupied with the wonder of it all.
Somebody must watch for those who have entered the door
But would like to run away. So for them too,
I stand by the door.


I admire the people who go way in.
But I wish they would not forget how it was
Before they got in. Then they would be able to help
The people who have not yet even found the door.
Or the people who want to run away again from God.
You can go in too deeply and stay in too long
And forget the people outside the door.
As for me, I shall take my old accustomed place,
Near enough to God to hear Him and know He is there,
But not so far from men as not to hear them,
And remember they are there too.


Where? Outside the door -
Thousands of them. Millions of them.
But - more important for me -
One of them, two of them, ten of them.
Whose hands I am intended to put on the latch.
So I shall stand by the door and wait
For those who seek it.


I had rather be a door-keeper
So I stand by the door.






This is an amateur translation, so take it with a grain of salt.
シロウトの翻訳なので、大目に見てね


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